私が中国と関わるようになったきっかけ

記念すべきコラム第1回として、私の中国との関わりについて語ろうと思います。私にとっては、2004年に中国に語学留学したのが中国と深く関わるきっかけでした。そもそも私が中国に留学しようと思ったのは2003年の頃、地方の工場で働いていた時のことです。そこに至るまでの経緯をちょっと語ってみましょう。

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高校~大学

高校までは歴史ものが好きでした。ギリシャ・ローマ時代の遺跡の写真や考古学上の謎に迫る想像図(世界の七不思議とか)などが当時のお気に入り。中国に関しては、横山光輝氏の『三国志』や『史記』を読んだり、歴史解説本なども買ってよく読んでいました。深く考えることが好きで、ぼおーっと世界の成り立ちについて考えをめぐらすようなちょっとアブない少年でした。高校を卒業するにあたり、大学は文学部か理学部にしようと考え始めます。当時は学問の中身や就職事情をよく知らなかったので、文学部も理学部も世の中や自然の理(ことわり)を追求するのだろうと思っていました。今思えばアホでしたね(笑)。最終的には歴史か哲学をやってみたいと思い、文学部に進学することとしました。

大学時代の第二外国語はフランス語を選択。大学のカリキュラムでは2年生まで第二外国語を週5コマは必修というなかなかハードなもので、この第二外国語の単位が取れなくて留年する人もいるほどでした。個人的には外国語学習は好きな部類に入るので、楽しく学習してましたね。専攻としては歴史、哲学から始め、言語学や文化人類学、比較文化論などを広く浅く学びました。外国語も必修の英語とフランス語だけでなく、アラビア語や中国語もかじってみました。

大学卒業後

大学を卒業してからは大学院に進学したいと思っていましたが、家は裕福でもなく、とりあえずお金を稼がなければならなかったため、就職しました。新卒で就職した会社はスキルが身につかないと判断して早々に退職、退職後は地方の工場に派遣社員として勤めてつなぐ毎日でした。

そんな中、人生の転機を迎えました。2003年、勤めていた工場が中国に生産拠点を新設するとのことで、中国人の立上げメンバーが研修にやってきました。私は大学の自由科目でかじった程度の中国語でなんとかコミュニケーションをとろうと試みました。中国人研修生もなんとかコミュニケーションをとろうとして、共通の話題はないかと模索しているようでした。そんな時、2人の中国人がパソコンに向かってある文を打ち込みました。

  • 有朋自远方来,不亦乐乎

画面を指さして「これを知ってるか?」とジェスチャーで示すわけですね。中学校の国語の授業で習ったことのある孔子の言葉だと分かり、「ああ知ってる!」と言うと意気投合しました。その後、その2人の中国人は普通话で孔子の言葉を読み上げます。1人が「 Yǒu péng zì yuánfāng lái, bú yì yuè hū 」と読み上げると、もう1人が「 yuè じゃない、だろ!」というようなことを言いました。2人でしばし言い合いをしたのち、「まあどっちでもいいだろう」みたいな笑顔で2人ともこちらを見るんですね。そのやり取りがとても印象深く、面白かったのを覚えています。(あとあと分かったことですが、は多音字で、 yuè ともとも読めます。音楽の意味では yuè 、楽しいという意味ではと読みます孔子の言葉は「楽しいことではないか」という意味なので、と読むのが正しい読み方です。)

その工場の進出先である江蘇省の蘇州は、歴史ある都市であると同時に、日本の企業を中心とした外資系企業の進出が盛んで、都市が急速に発達していると聞きました。工場で中国人研修生と交流する中で、次第に中国人への関心、中国社会の変容への興味がつのり、中国へ行ってみたいと思うようになりました。

派遣先の会社に「駐在員として中国の工場に赴任したい」と訴えましたが、「派遣社員は赴任させられない」とあっさり断られます。今考えれば当たり前なんだけど、当時は20代で世間知らずでしたからねー。それなら自力で道を開くしかないと考え、まずは中国語をものにすることを目指し、中国へ留学することにしました。私が中国及び中国語と関わるようになったきっかけには、このような背景があったのです。

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